『AGAIN』について本気出して考えてみた

3年5ヶ月。
待ちに待った年月に
鮮やかなカタルシスをお見舞いするような、
熱量の高い、個性の際立つ14曲が詰め込まれた
10thアルバム『RHINOCEROS』。


とにかく今回のアルバムには
かっこよさも、
色んな意味のポルノっぽさも、
『今』を切り取った感も、
迷いやブレのない振り切った感も、
それから15年間足を止めずに
疾走してきたことの意味も、何もかも
極限までとことん突き詰めてできた
結晶のような曲達がひしめいてる。


1曲1曲が放ってくるパンチがものすごいヘビー。
なんという攻撃力の高さ。
もう完全ノックアウトなのであります。


アルバムについて、
収録曲たちについて、
語りたいことはたくさん、
ほんとうにたくさんあるのだけど、
その中でも、最初からとても心惹かれて、
何度も何度も聴いて、
そして
意味がわかった時にマジ泣きしてしまった
曲がある。


それは、『AGAIN』。


何が私をそんなに泣かせたのか、話してもいいかな。


※以下、個人の感想です。

スローで叙情的なサウンドに、
低いトーンの昭仁さんの声が乗る。

曲順が『バベルの風』の直後
ということもあって、
初めて聴いた時にはまず
『バベルの風』との
サウンドや声の表情の違いに驚いた。

そして昭仁さんの声の表現力にも。
出だしの低い声。
そっと心を掬い取るように
丁寧に歌われる語尾。

それとは対照的な、サビの慟哭。
歌詞を聞かずに声だけを聴いていても、
ぎゅっと胸が締め付けられるような、
苦悩と絶望が交じり合った叫び。

そして何より歌詞の素晴らしさ。
絶望を描いているのに、
こんなにも慟哭の激しさが伝わるのに、
この静けさ。


情景はすぐに目に浮かぶ。

『国道沿い 冷えた公園の 薄い乳色の朝もや
 体の芯に残っている 痺れが脈打つ』

主人公がいるのは、国道沿いの公園。
眠らずそこで一晩を明かしたこと、
体の芯からの疲れ。

情景を描いているけれど、
主人公の目に「冷えた公園」と映るそこには、
実際の寒さに加えて、
主人公の心の中の冷えも滲んでいるかのよう。

『昇る太陽が静寂を焼き尽くす前に
 行かなきゃ 影を慕いて歩いては どこまで』


「太陽が静寂を焼き尽くす」
「影を慕いて」という表現から、
主人公は朝日が昇るのを歓迎していない。

太陽というとどうしても
そこから届く『光』を
(つまり視覚を使ったイメージを)
はじめに意識してしまうけれど、

「太陽が静寂を焼き尽くす」
=朝が来ると鳥はさえずり
 人々が起きて活動しはじめ
 夜の静寂が破られてしまう
という意味だよね。
つまり、聴覚イメージ。

太陽を避け、夜の静寂を求め、
「行かなきゃ」と歩き出す主人公。
でも目的地は示されない。
「影」を求め、ようやく影の中に入っても、
いつの間にか太陽は位置を変え、
主人公が身を潜める影を奪ってしまう。

そんな
「逃げ場も終着地もないあてどない逃走」
の寄る辺なさが、
言いっぱなしの「どこまで」
という心の叫びに宿っている。

あえて言葉を足すのなら、
「どこまで行くのか」
「どこまで行けば終わるのか」
「どこまで行っても終わりはない」
旅人に尋ねても、そこにあるのは、ただ絶望。


『夜ごと君に話していた約束は今も果たせず
 痛みに姿を変えて尚 AGAIN AGAIN』


何が主人公をここまで苦しめているのかが語られる。
それは、かつて君と夢見ていた約束。希望。
それが今や痛みに姿を変えている。
「もう一度」と願う主人公。

『AGAIN』という曲だけを見た時、
「君」にはいろんな人が
当てはまるのだろうなと思う。
『とても大事な誰か』が。

恋人だと感じればそれは悲恋歌に聞こえるし、
昔の仲間だと思えば
それは絆の断絶への挽歌になる。

苦しみや悲しみはありありと伝わるのに、
対象を限定するような書き方でないから
聞き手の分だけ、いろんな思いをのせられる、
そういう懐の深さがある曲だと思う。


『ダメになってゆくのを見られるのは辛い
 今さら 僕を覚えていなければ いいけど』


時の経過とともに、
かつての夢が自分を苦しめる。

「かつての夢やかつての自分」と、
「今の自分」との落差。

幸せだった時代に一緒にいた、
自分の中の『幸せを象徴する存在』である君に、
落ちぶれていく自分の姿を見られることは、
身を切られるように辛い。

そして、自分の中の『幸せな思い出』
であるかつての君の笑顔すらも
今の自分に向けられた驚きや侮蔑の表情に
塗り替えられてしまう。

君を失うだけでなく、幸せな思い出も、
幸せな思い出の中の君も、
自分の内側が崩れていってしまう痛み。
それを引き起こしたのは他でもない自分自身。
行き場のない痛みは自分に向かうしかない。


『遥かな昔 海に沈んだ架空の街の地図で
 旅をしているみたい
 そこにあったはずの景色は変わり
 僕は泣いているんだ AGAIN AGAIN』


ここへきて、この比喩。
まず「地図」は人生の航路を示すのに
よく使われる比喩だし、
「旅」もこれまた
人生を例えるのによく使われるけど、
そんな簡単な例え方じゃない。

「遥かな昔 海に沈んだ架空の街の地図」
だというのだから。

直前の2つの連を使って描かれてきた
主人公の苦しみを、
主人公が肌で感じた感覚として
体感的に表現している。

遥かな昔 海に沈んだ
架空の街の地図で旅をするということは、
「かつてそこにあった繁栄が今や廃墟になった」
ことを突きつけられ、まざまざと実感した、
ということ。

「そこにあったはずの景色」とは
主人公にとってみれば、
あの頃の夢や未来。
夜ごと君に話していた約束。
そんな、幸せだった過去。

それは今やもう決定的に失われてしまった。
取り戻せるはずがない。
奇跡が起きて時間が戻ったとしても、
もともと地図は架空の街のものなのだから、
そこに君はいない。


『君はあの時 黙って頷いてくれた
 行かなきゃ 君がそれを覚えてたら 行かなきゃ』


絶望で目を覆われていた主人公が、
かつての君を思い出す。
「君が僕を信頼してくれた場面」を。
そして、歩き出そうとする。

太陽を避け、影を求めて
目的地を定めずに言った「行かなきゃ」と、
この「行かなきゃ」は、
意味がぜんぜん違う。

ダメになってゆく自分を見られたくないから
「君が僕を覚えていなければいい」
とさえ思ったのに。

「もし君が覚えてくれているなら行かなきゃ」

かつての君とかつての自分の信頼関係、約束のために。
ダメな自分を見られようが、
あの時の自分たちを裏切らないために、
どんなにもがいても、前に進みたい。
絶望の淵にあって、
希望と呼べるかどうかもわからない、
最後のプライド。


『本当のこと言うよ 時間と共に
 地図は掠れていって 今では読めもしない
 そこに何があったか 思い出せなくて
 僕は泣いているんだ AGAIN AGAIN』

そして更に深い慟哭。
本心の吐露。

「そこにあった景色が変わってしまったから」ではなく、
「そこに何があったか思い出せない」ことが悲しい。
決定的な喪失。

「あの頃の未来へ繋がる道から
 いつの間にかはみ出してしまった」
のではなくて、
「あの頃見ていた夢さえ思い出せない」
という、一番大事にしてきたはずの芯が
いつのまにか空っぽになってしまったという、
残酷な自分自身の変質。

絶望を振り払おうと、
行かなきゃと歩き出して、
なお一層深い絶望に直面する。

そしてラスト。
『国道沿い 見慣れたコンビニ
 トラックが巨体を震わせて
 僕のすぐそばを走り去ってく
 AGAIN AGAIN』


曲が始まった時のように、
しずかに情景を描写して、終わる。
明確な救いはない。
だからこそ、残酷でうつくしい。


秀逸な比喩である
「遥かな昔 海に沈んだ架空の街の地図」
を使って、絶望の淵を深くするとか、

「覚えていなければ」から
「覚えてたら」への
ドラマチックな心情の変化とか、

意味を変えて繰り返される
「行かなきゃ」とか、

静かな情景描写が
はじまりと終わりにあることで、
慟哭とのコントラストがより際立つとか。

対になる表現を
少し変化させて繰り返し
巧みに操ることで
情景や心情をより深いものにする。

構成・表現の妙に舌を巻く。

言うまでもないけれど、
この歌詞には
激しい言葉づかいもなければ
直接的な表現も少なくて、
使われる言葉としては
それ自体が「尖った」印象はない。

それなのに、
慟哭や悲しみや苦しみを表現しきって、
突き刺さるような切なさや
えぐられるような痛みを
曲を通して聞き手にそっと手渡してくる。
無骨に投げつけてくるのではなく、
あくまでもそっと、手渡しで。

丁寧に丁寧に、感情をぜんぶすくいとって
そっと言葉に託しては行方を見守りながら、
心の襞を幾重にも織り上げるようにして
紡がれた表現だと思う。

文字数の制限がある中で
これだけ余情が香るのは、
情景から心情が滲んでくるような
言葉選びや配置、
言語感覚のなせるわざだと思う。

それに加えて、
15年間現役で第一線で
活躍し続けてきたことの
結実のひとつの形なんじゃないかと思う。
この純度の高さ、しずかな迫力、
円熟した匠の技。



『AGAIN』だけをみても、
これだけ素晴らしく胸を打つ。

でもそこに、
「もう一つのストーリー」があって、
不意にその扉を開けてしまった時、
涙が止まらなかった。


「夜ごと君に話していた約束は今も果たせず」

このフレーズ。
聞き覚えのある表現。

そう、『ダイアリー00/08/26』。

「夜ごと、君に話してた未来についての言葉は、
 いくつかは本当になって、
 いくつかはウソになってしまった。」

「君」に話しかけるスタイル。
かつて描いていた夢の話。

『ダイアリー00/08/26』でも、
「今の僕」は君と違う場所にいて、
君が今の僕をどう思っているのか気にかけてる。

だけど、『ダイアリー00/08/26』の主人公は、
「あいかわらずGuitarを離さずにいるんだよ。」
と歌ってる。
「それは夢を描くペンでもあったんだし」と。

あの頃Guitarで描いた夢を、
今も大事に持っている。
TVの中で活躍するようにもなったし、
夢のいくつかを実現することもできた。

「僕でいるために離せないもの」
「大事な守るべき何か」を
しっかり持っているから、
君への問いかけは、
「僕は変わっていないよ」
「一番大事な芯はあの頃と変わらないままだよ」
っていう現状報告のようにも思える。

でも、『AGAIN』では…。

かつての夢もわからなくなってしまった。
過去の自分のアイデンティティでさえ。


「夢を描くペン」も
「大事な守るべき何か」もなくしてしまって、
「僕が僕でいる」ことすらもできなくなっている。
かつて聴こえていた
「たった一つの音にさえひそんでいる真実」
すら、もはや聴こえなくなってしまった。


『ダイアリー00/08/26』は
他の曲と少し毛色が違って、
完璧なフィクションというわけではない。
その日に思ったことを日記に書いたような、
それが歌詞になった曲。
だからノンフィクションに近い、
作詞者に近い歌詞になっている。

だからこそ『ダイアリー00/08/26』で歌われる
「どんな激流に飲み込まれそうになっても、
 自分の芯は変わらない。
 音楽をはじめた頃の初期衝動を
 今でも変わらず大事にしているんだ」という
清潔な矜持みたいなもの、
それがまぶしいくらい胸を打って、
ライヴで聴くと、泣いてしまったこともあった。

『ポルノグラフィティを
 もう終わりにしてしまおうと思ったことが
 一度だけありました』

 そんな胸に突き刺さるような言葉の後、
「でも、もう一度歩き出そうと思って作った曲」という
『シスター』で本編を閉じ、

アンコールの1曲目が『ダイアリー00/08/26』で。

決意の表れともとれる、とても大事な曲。
「あの頃大事にしてきたものを
 今もずっと大切に抱え続けている」
ということに感動して涙を流し、
胸の真ん中を撃ちぬかれてきた。


だからこそ、
『AGAIN』で描かれる
「一番大事なものを見失ってしまう慟哭」は
ある意味自分のものでもあって、
「もしかしたら、紙一重の
 こういう未来もあったかもしれない」
と思うと、足元に穴が開いたような、
暗く深い闇の淵に飲み込まれていくみたいな
そらおそろしさを感じる。


たった1フレーズが同じだからといって、
リンクされた曲のストーリーを読み込むのは、
考えすぎなのかもしれない。


でも、

「国道沿いの公園」で、
主人公が夜通し何をしていたのか、

歌詞に描かれていなくても、
私達は知っている。


----------

『東京デスティニー』の発売当時、
『SOUND ROOM』という番組での
MCの中居くんとリリー・フランキーさんとの会話。

中居「15年。早いね~」

昭仁「本当にいろいろあったと思います。
   メンバーもともと3人だったのが
   2人になったというのもありますし」

中居「えっ、もともと3人?」

晴一「その時は、やっぱり…。
   初めて話すんですけど、
   (昭仁と)2人で話しました。

   お互いの家の間の、
   しかも 国道沿い の、
   ブランコとベンチしかない 公園 で。
   そこの公園で、続けるかどうかを
   相談しましたね。

   解散するかどうか、って話しました。」

----------

『AGAIN』の歌詞。

「国道沿い 冷えた公園の 薄い乳色の朝もや
 体の芯に残っている 痺れが脈打つ」

「夜ごと君に話していた約束は今も果たせず」

----------

『ダイアリー00/08/26』の歌詞。

「夜ごと、君に話してた未来についての言葉は、
 いくつかは本当になって、
 いくつかはウソになってしまった。」

----------

そうか、あの時のことを描いた曲なのか…。

ノンフィクションに近いものとして、
「自分が音楽をはじめた頃の初期衝動、
 ずっと大事にしてきたもの」
が描かれた
『ダイアリー00/08/26』へのリンクが貼られ。

その、
「自分が音楽をはじめた頃の初期衝動、
 ずっと大事にしてきたもの」さえも、
見失ってしまうほどの衝撃があって、
苦しみや絶望があって、
3人で描いた夢はもう見えなくなって。

「ポルノグラフィティをもう終わりにしてしまおう」と
「もう一度続けよう」の間で
2人でとても苦しんで、
朝までずっと話し合って、

そして、「行かなきゃ」と思った、
その時の曲なのか。

そう思えば、
タイトルの『AGAIN』がひりひりとしみる。

もう一度。

「もう一度、あの頃に戻りたい」

「もう一度、戻ってきてほしい」

「もう一度、夢を見つけられるだろうか」

「もう一度、歩き出そう」


言葉に出来ない、
行きつ戻りつの
無数の「もう一度」が曲に溶けてる。


これほどの、慟哭の深さ。
突き刺さるような切なさや
えぐられるような痛み。

でもそれは一切の過剰さを排し、
密やかに美しく紡がれ、
上質な孤独に彩られて、
「作品」としての輝きを放っている。


切なさや痛み、苦しみ、絶望を
作品として文句のつけようのない
完成度まで昇華させながら、
こんなに深いダブルミーニングを
曲に背負わせている。


15年間足を止めずに
疾走してきたことの意味も、何もかも
極限までとことん突き詰めてできた
結晶のような曲。
ほんとうに、素晴らしい表現者だと思う。


そういえば、
明日は『ダイアリー00/08/26』から15年。
今聴けば、前とは少し違うふうに
聴こえるかもしれない。

この記事へのコメント


この記事へのトラックバック

カテゴリ